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おたっきー調査隊 テーマ:紫紺の土台となった幹部を調査せよ!(VOL.36)

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規律ある寮生活や、スムーズなクラブ運営。これらが土台、基盤となって機能するからこそ、試合の結果に結びつきます。 今季、そのキーマンとなった寮長の池戸将太郎選手、FWコーチとレフリー兼任の不京大也主務に話を聞きました。

寮長/FB
池戸将太郎

「選手以前に、人として」を 大事にしたシーズン。 次は愛するチームで


寮長の仕事に難しさは感じませんでした。それは、ぼくがすべてを管理しなくてもよい環境だったのが大きいですね。(同期に)リーダータイプが多く、一度言ったことに対して、コミットしてくれた。もちろん完璧ではないにせよ、周りの協力に恵まれてたすかりました。
 ただ、どうしても怒らないといけない立場だという自覚は常にありました。後輩にも厳しく言えるから任されたと思うので、覚悟を持って取り組みましたね。そのうえで幹部の選手や監督、コーチ陣とコミットしながら進めていきました。だから嫌な感じもあまりなく、責任はしっかり果たせたと思います。
 意識したのは、当たり前のことを当たり前にすること。トイレットペーパーが切れたら芯を捨てて取り換える。そうした気遣いですね。これができないと寮生活や、この先(の人生)でも厳しい。「選手以前に、人として」を大事にしていたので、こまかいですが言い続けました。

確信が持てた2本のトライ

決勝は一年間積み上げてきた明治のラグビーが出しにくいコンディション。そのなかで、前半最後の2本のトライは、「やってきたことに間違いはなかった」と思えるものでした。1本目はしっかり継続して、敵陣に自分たちの力で入って取り切った。2本目の(海老澤)琥珀のトライも我慢できた結果。どちらも「我慢」という意味ではよかったですし、みんなの意地や明治のプライドが出たのかな、と思います。悔しいのは後半最初の場面(※編集部注:2分のセンターサークル内でのマイボールスクラムからのサインプレー)。相手ディフェンスの中央のギャップを突けたのに、ボールをもらうタイミングが合わなかった。直前の練習ではすごくうまくいっていたのですが、いざ本番になると、焦って気持ちが前に出過ぎてしまった。練習通りにできなかった自分自身に悔いが残ります。
 来季からプレーする東芝(ブレイブルーパス東京)は、子どものころから好きなチーム。ラグビーの映像が常に流れる家庭だったのですが、目に留まるのはなぜか東芝で…。大野(均)さんや中居(智昭)さん、スティーブン・ベイツがいた当時はよく見ていて、ノートにメンバーを書いたりしていました。親しみを感じるクラブで常に上をめざし、新しい目標を見つけたい。そのためにも早く試合に出て経験を重ねたいですね。  

主務/レフリー/FWコーチ
不京大也

「三足」のわらじで チームを献身的にサポート 未来に描く大きな夢


 もともと中高の6年間は選手で、ポジションはSH。当時のトップリーグ(現リーグワン)や日本代表でのプレーを夢見ていましたが、セレクションに落ちてしまって…。当初はレフリーで入部し、その後、分析も兼任しました。レフリーも試合をよく見てチームの特徴を認識して笛を吹いたほうが試合をうまくさばけます。また、チームの意図やラグビーそのものの理解深まり、貴重な経験になりました。  2年生のときに分析担当を外れ、FWコーチに就任しました。以前からレフリーとして成長するために、選手と同じようにフィットネスのメニューに取り組んだり、グラウンド上で選手に積極的に声をかけていたのですが、それを見ていた宏明さん(伊藤HC)に「やってみないか」と。FWに関してはまったく無知で、ゼロからのスタート。だから、滝澤さんにたくさん話を聞いて、数多くの映像を見ました。選手にもラックやセットピース、気持ちや意識について教えてもらったり。コーチの立場ながら、ぼく自身が学んでいった3年間でしたね。いちばん成長できたのは、自分の頭で考えて取り組めるようになったこと。一例を挙げると、より実戦に近い、リアリティのある練習を行うにはどうするべきか。アイデアを出し、シニアコーチに相談しながらサポートできたのは、チームへの貢献につながったのかなと思います。

「W杯の決勝で笛を吹きたい」

 今季は主務も兼任しましたが、うまくいかないことも多く周囲に助けられたシーズンでした。学生スタッフのサポートや、主将の(廣瀬)雄也をはじめ幹部の選手たちの意見が支えになって、なんとか一年やってこられました。監督やコーチ陣にもたくさん話を聞いていただき、なかでもタイムスケジュールなどチームマネジメントに関しては宏明さんによく相談させてもらいました。本当に感謝しています。
 今後はレフリーをめざし、まずは2月の下旬から約半年間、ニュージーランドのウェリントンに留学します。いずれはW杯の決勝で笛を吹きたい。セレクションに落ち、レフリーになると決めた当時からの夢なので、変らず追い続けます。明治でレフリー、コーチ、主務を経験できたのは、ぼくにとって大きな財産です。これからの自分の土台をつくってくれた4年間にも感謝したいですね。