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苦悩の一年。 明治で手に入れた『大切ななにか』を糧に(VOL.33)

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石田吉平主将


6年ぶりに「正月越え」を果たせなかった今季。何がうまくいかなかったのか。懸命にリーダーシップを発揮し続けようとしたキャプテンに、シーズンを振り返ってもらった。  

申し訳なさを感じた最後の一戦

――シーズン最後の試合、早稲田戦から約1カ月経ちました。心の整理はつきましたか。
 そうですね。(大学選手権の)すべての試合が終わったので心の整理はつきましたし、次のステージへ向けて準備をしている段階です。正直に言うと、決勝が終わるまではラグビーを見たくもありませんでした。

――ちなみに、早稲田戦の映像は?
 見ていません。おそらく一生見ないと思います。

――今季を総括すると、どのような一年でしたか。
 いろいろな経験をたくさんできたのは、自分にとって大きかったですね。ケガやコンディション不良など、年間を通してうまくいかないことばかりでしたが、中身の濃いシーズンだったと思います。

――あえて、ひとつ挙げるとすれば?
 最後(大学選手権準々決勝の早稲田戦)の負けですね。日本一になりたくて明治に入りましたが、結局、4年間で一度もそこには到達できなかった。こんなにも勝たせてくれないのかって……。勝負の世界なので仕方ありませんが、それは強く感じました。
 
  ――試合前の雰囲気はいつもと違いましたか。
 違いましたね。ケガで(伊藤)耕太郎の欠場が決まって、チーム内に焦りが生まれたのかな、と。皆、口では「焦っていない」とは言っていましたが、心のどこかにはあったと思います。あとは、早稲田にはシーズンで2回勝てないという「ジンクス」も妙に気にしている感じはありました。そういう難しい状況やプレッシャーで、自分たちに集中できなかったのが大きな敗因になりました。

――試合直後はどのような心境でしたか。
 悔しさや虚しさよりも、申し訳なさが大きかったですね。応援してくれたファンの方々に対してはもちろんですが、いちばんはジャージーを着られなかった同期の4年生に申し訳なくて、それがつらかった。この試合に向けて、ルビコンの4年生たちが一生懸命に協力してくれて、「勝ってほしい」という気持ちも十分に伝わってきていたので。もしかしたら、そういう選手たちに「明治に入ったのが間違いだった」と思わせたんじゃないか、と想像してしまって……。責任を強く感じましたね。

――チームの誰もが石田主将の存在を認めていると思います。実際に同期とは話をしましたか。
 改めて紀伊(遼平)ちゃんからはメッセージをもらって、その言葉で報われたというか、「キャプテンをやってよかったな」とは思えましたね。「がんばっていたのは知っていたし、吉平がキャプテンでよかったよ。今後も交流が持てたらいいな」と言ってもらえて、それは素直に嬉しかったです。仲がよいと本音で話すのは難しいんですけど、ストレートに伝えてもらえたのは、すごくありがたかったですね。

寮の屋上でひとり考え込む日々

――キャプテンはチームをまとめなければいけない立場です。つらさや難しさはどういうところに感じましたか。
 キャプテン経験がまったくなかったので、どうすればよいかわからなくて、悩んだ時期もありました。ひとりで抱え込んでしまうタイプで、周りから「相談しろ」と言われても、正直、言えませんでした。そもそも前に出る性格の人間でもないので、キャプテンらしく行動するのは難しかったですね。

――特に悩んだことは?
 チームの調子に波があって、このままでいいのか、優勝できるチームになるのかと不安になったり、練習の雰囲気がよくない時期が続いたときにはすごく悩みました。どうすれば、このチームがよくなるのか。夏場は屋上にひとり座って、考え込んでいた時期もありました。

――孤独な時間ですね。
 眠れない日はそうやって時間を過ごしていました。考え過ぎてしまうタイプというのもあって、そういう時期がつらかったのは事実です。

――周囲の選手からの証言で、石田主将は少しでも時間があれば、自主トレーニングに取り組んでいたと聞いています。もっとうまくなりたい、チームを勝たせたいという気持ちが大きかったとは思いますが、一方で、身体を動かしていないと、不安や重圧に押しつぶさそうな感覚があったのでは?
 その通りですね。ついネガティブに考えてしまって、身体を動かしていないと不安に押しつぶされそうになっていたので。それを打ち消すために身体を動かす、練習するという感覚はずっとありました。

――そうした不安やプレッシャーはシーズンが深まるにつれて減っていきましたか。
 試合前はコンディション調整のために減らしましたが、それ以外の時間はあまり変わりませんでした。やはり日本一の経験がないので、どうすればよいか模索する感じでしたね。「大学王者になるためにはもっと練習しないといけないんじゃないか」「主将がいちばん練習しないと、みんなはついてこないんじゃないか」。そういう気持ちが常にありました。自分の姿を見て個人練習の時間を増やす選手がいれば嬉しいですし、そのあたりも意識していたと思います。

「大切ななにか」を知るために次のステージへ

――2年生からレギュラーの座をつかみ、4年生では主将に就任。3年生だった昨季は東京五輪にも出場しました。目標の大学王者にこそなれませんでしたが、個人のキャリアは素晴らしい歩みだったのではないでしょうか。
 明治に入学していなければ、これだけの経験はさせてもらえなかったでしょうし、明治にきて本当によかったと思います。自分でも具体的にはわかりませんが、この4年間で「大切ななにか」を手に入れられました。そのハッキリとはわからないなにかを糧にして、力に変えて、今後のラグビー人生を進んでいきたいですね。選手のキャリアを終えたときに、大学4年間で得た「大切ななにか」の正体がわかると思うので、自分の新たな目標に向かってがんばり続けたいと考えています。

――最後に、ファンの方へメッセージをお願いします。
 4年間、たくさんの応援をありがとうございました。ぼくたちの代は一度も大学日本一を達成できませんでしたが、皆さんの応援のおかげで充実した4年間を過ごせました。明治でラグビーができたのは誇りです。来季は100周年で、力のある後輩たちが日本一を達成してくれるはずです。これからも引き続き、応援をよろしくお願いします。