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【山沢京平】主将・副将が回顧する2020年(VOL.27)

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山沢京平副将


「『ごめん』と言われたときは込みあげるものがありました」
司令塔として縦横無尽、獅子奮迅の活躍を見せるはずだった今季。
開幕直前のケガで失意を抱えたまま過ごさざるを得なかったシーズンを振り返る。

 
 

肩の回復も遅れているなかで開幕直前にヒザを負傷

 ヒザを負傷したのは、対抗戦開幕直前の9月30日でした。その年の1月に肩の手術を受け、リハビリを続けていたのですが思うように回復せず、夏合宿明けから全体練習に合流したものの、パスやコンタクトの際に痛みを感じるなど、ずっと違和感とストレスを抱えていました。
 ヒザを負傷したその日は特に調子が悪く、練習が始まってもまったく集中できない状態。自分が関わったすべてのプレーでミスをするほどでした。そしてある練習中に、対面の選手がキックをしようとしたので、それを防ごうと脚を出した瞬間にヒザに痛みが走りました。時間の経過とともに痛みは増していき、検査の結果、前十字や内側など複数の靭帯を損傷していることがわかりました。
 どういう感情なのか自分でもよくわからなかったのですが、泣きましたね。肩のケガの影響で練習に集中できていなかったこと、前年の(大学選手権)決勝で負けた早稲田へのリベンジが叶わないこと、みんなとプレーできない悔しさ、応援してくれている人への申し訳なさなど、いろんな想いがあふれてきて……。正直、しばらくは食事ものどを通りませんでした。それでも、スタッフから「やれることを精一杯やってほしい」と言われたり、(箸本)龍雅や片倉をはじめ同期のみんなが言葉をかけてくれて、少しずつではありますけど、気持ちを切り替えられるようになりました。

監督から伝えられた80点のマインド

(大学選手権準決勝の)天理戦は本来ならもっと力を出せたはずです。アタックはキックとパスを織り交ぜれば、もっと前に出られたと思うし、それだけのスキルを持った選手が揃っているので。またディフェンスももっと粘れたと思うし、強みを出し切れなかったのは残念でした。試合直後は、「これで明治での4年間が終わったんだ」という気持ち。
ゲームに出た選手たちから「ごめん」と言われたときは、グッと込みあげるものがありました。
 4年間を振り返れば、田中監督との出会いも大きかったですね。3年生でSOに転向したとき、「常に100点のプレーを出そうとしなくていい。安定して80点のパフォーマンスが出せて、大事なゲームのときに100点を出せればいい」と言われたことが、すごく印象に残っています。もともと完璧にこなしたいタイプで、ひとつのミスで落ち込んでしまい、うまく切り替えられないことが多かったのですが、「80点のマインド」を知ってプレーの波が少なくなりました。またSOをやるようになって、ラグビーを考える時間が増えたことは、今後のラグビー人生にいきてくるはずです。
 後輩たちにメッセージを送るとすれば、試合や練習に向けての準備をしっかりすること。そして、ケガがあるのであれば、きちんと治してから復帰する。こう伝えたいですね。そうしないと自分みたいに、より大きなケガにつながってしまうので。準備は本当に大切ですから、怠らないようにしてほしいと思います。