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今昔紫紺蹴球記 第1回 鈴木忠義さん(VOL.2)

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今昔紫紺蹴球記 第1回 鈴木忠義さん
1965年度主将 現明治大学ラグビー部OB倶楽部会長


明治大学ラグビー部OBの方々に、当時の貴重な写真とともに、学生生活の思い出やさらにはラグビー部への思いを語っていただきながら、創部90年にわたるラグビー部の歴史を回顧する新連載企画がスタートします!!

苦しかったことが、今では楽しい思い出に

私が入部した当時(昭和36年)は、今よりも上下関係が厳しかったと思いますね。1年生は原則2人の上級生の付き人にならなくてはいけなくて、いろんな仕事をしました。特に大変だったのが洗濯と食事。練習着の洗濯は毎日で、翌日の練習時間までには必ず乾かさなきゃいけないんです。雨が降った日なんかはそりゃもう大変で……(笑)。合宿所の外で焚き火をして、その火に当てて乾かしたりもしましたよ。食事も先輩方の様子をちらちらうかがいつつ、茶碗からご飯がなくなるタイミングでさっと横に行っては「おかわりいかがですか!」と声をかけたり。気を遣わないといけない雑用がいっぱいありました。
ただし必修科目の授業がある日だけは学校に行けるんです。このときだけは雑用から開放されますから、もう学校に行ける日が楽しみで楽しみで仕方ありませんでしたね(笑)。
不思議な話ですが、そうした苦しかったことのほうが今では楽しい思い出として強く記憶に残ってるんです。どうしてでしょうかねぇ。今でも当時の先輩や同期と会うと、その頃の思い出話を肴にお酒を飲みますし、これが体育会のよさなのでしょうね。しみじみ思います。もちろん当時も、上級生は厳しいばかりではありませんでしたよ。ときには食事をごちそうしてくれることもありました。新宿あたりに繰り出して、当時50円くらいだったラーメンや天丼をおごってくれるんです。学生時代はおなかいっぱいになることが大きな楽しみのひとつですから、これはホントにうれしかったですね。

合理的な理念だった北島先生の「前へ」

私は(保善)高校3年生のときに全国高校ラグビー大会で優勝を経験しました。ですから大学でも、強い学校でラグビーを続けたかった。そして、同年に明治が関東大学対抗戦で優勝するのを見て、セレクションを受けようと決意しました。
入学してからは紫紺のジャージーに袖を通したい一心でしたね。全体練習だけでなく自主練習に何時間も取り組んだり、体を強く大きくするためのウエイトトレーニングを中心に、ときには陸上部のトラックを走りました。ひとつのポジションに何人も競争相手がいます、紫紺のジャージーを着ることなく卒業していく選手のほうが多いわけで、そりゃもう、必死に練習しました。結果的に1年生から公式戦に出してもらえました。うれしかったですよ。
北島先生からは「パスは両手でしっかりとしなさい」「タックルは正面から、スピードアップして当たりなさい」など、ラグビーの基礎の基礎を教わりました。先生がおっしゃる「前へ」は、いろいろな方が解釈されるのですが、私は敵陣のゴールラインまで最短距離で進みなさいということだと思っています。グラウンドを斜めに進むと、どうしても走る距離が長くなってしまいますよね。だから、まっすぐ正面に進みなさいという教えでした。BKも前へ進みながら瞬間瞬間で相手をかわすのはかまわないのですが、最初から横に流れて走ることを好まれませんでしたね。時間をかけずに最短距離を進む。ラグビーにおいては非常に合理的な考えだと思います。
一番記憶に残っているゲームは、1年生のときに出場した朝日招待ラグビーです。この年に明治は関東大学対抗戦で優勝し、東西対抗戦で関西のチャンピオンである同志社と対戦しました。当時は大学選手権はなく、この試合が学生王者を決める戦いでした。東西対抗戦で明治は勝利したわけですが、社会人も含めた日本一のチームを決めるため、社会人優勝の八幡製鐵を主体としたチームと福岡で試合することになったんです。これが朝日招待ラグビーです。このときの天候がひどかった。前日から大雪が降って、グラウンドは完全に凍っていましてね、落ちたボールをセービングすると体が5メートルくらい滑る(笑)。まるで、スケート場で試合をしているような感覚です。それでも何とか勝ちました。実質の日本一になれましたし、ひどかったコンディションも含めて、このゲームがもっとも印象に残っていますね。

吉田体制4年目への期待

私が主将を務めた4年生のときは苦しかった。いろいろな要因が重なり部員が減ってしまい、チームは弱体化していました。それでも北島先生はご自身の信念を曲げませんでした。マスコミが明治の「前へ」という理念を批判しても、先生は決して動じませんでしたね。このとき「前へ」の精神を貫かれたことで、その後の明治の黄金期が続くわけですから、すばらしい指導をされたと思います。
今年は吉田監督体制の4年目。監督に就任した年の1年生が4年生になりましたから、結果を出してほしい。カッコいい勝ち方でなくてもいい。集大成となる1年に心から期待しています。
 
鈴木O B 会長がラグビー部の合宿所に入寮した際、北島監督の自宅で撮影された1枚。新入部員に北島監督が訓示を行っている貴重なショット。「後姿が北島先生で、右から2番目が私です。先生を前に、大変緊張して、先生の顔が見れないほどでした。他の同期も同じで、みな視線が下のほうにいっていますね」